手術と入院

総重量1t近くの荷物が崩れてきて、下敷きになりました。
その重さを受けたまま、思い切り尻もちをつく形になったRYUは、そのまま救急車で救急病院に運ばれることになりました。
誰もがその可能性はあるけれど、なかなか経験することは少ない、そんな事故の、直後のお話。 

17:00過ぎ  事故に遭う。救急車を呼ぶも、乗車したまま搬送先を探すのに30分。
救急担当ではなかったものの、別の病院が受け入れてくれ、搬送。
落ちてきた荷物で顔や足を切り血だらけに〜。 
あまりの激痛に、両腕で上半身を支えて足を伸ばした状態を保つRYU。 
17:30前後  妻、ちびうさに救急隊員より連絡、病院へ向かう。 CT、MRIなどの検査を受ける。  気が動転して、なぜか家まで保険証を取りに行くちびうさ。 
18:00頃  検査の結果を見せられながら、手術の説明を受ける。  あまりの背骨のずれ具合に、この時点である程度の覚悟が。
18:30頃  予定時間4時間と言われ手術室へ。 
23:00過ぎ   予定時間を超えて無事に手術を終える。  手術を受ける頃になってようやくRYUの両親にも連絡。弟とともに駆けつけてもらった。 
一晩中、痛みと熱にうかされ、うめき続ける。  後から聞いたらほとんど記憶はないらしい。
術後4日間  完全絶飲食。ベッドで寝たきり。床ずれ(ジョクソウ)と尖足(足がバレリーナみたいになる)予防をしつつ過ごす。 このころの記憶もあいまいらしい。 
術後2週間   10分粥から徐々にお米に進めつつ、足の感覚や動きを確認する毎日。 
ベッドを起こすところからリハビリを始め、コルセットを採寸・作成、車椅子の使用をスタート。 
 告知されていないRYUはちょくちょく治ってからの話をしていました。 
術後1ヵ月  主治医より告知。一生車椅子生活と言う事よりも、バレーボールが出来ないことに絶望・・・。  事故後、初めてRYUが泣いた日になりました。 
術後1ヵ月半   リハビリ専門病院に転院。 
車椅子の採寸、作成、上半身の強化、トイレの訓練など、これからの生活のためのリハビリを行う。 
 住んでいたアパートを解約、ちびうさの実家をリフォームに入る。 
術後半年なかば強引に退院。ちびうさの実家で同居スタート。   リハビリ病院にみえた脊損ドクターに勧められて、練習のつもりで受けることに。 
  入院中に願書を出した、県職員の障がい者枠採用試験を受験。
術後8ヶ月  ちびうさママと二人きりでお昼ご飯を食べる日々が続く中(苦笑)、県職員試験合格。  ちびうさのほうが一足先に就職してしまって〜(汗) 
術後11ヵ月  三重県職員として社会復帰。   
もちろんものすごくたくさん、いろんなことがあり、いろんな感情を味わいました。
それでもたくさんの人たちに支えてもらって、1年経たずに社会復帰できたことは、もちろんRYUの計り知れない努力もありましたが、運が良かったと思います。
詳しいリハビリのことや、車椅子、排泄のことなどについては別のページでご紹介したいと思います。
ひとつだけ、受傷直後にもっときちんと話を聞いておけばよかったと思うことがあります。
それは子どものこと。
下半身が麻痺になるということは、
一般的な方法で子どもを授かることは難しくなるということで。現在私たちは不妊治療を行っています。
その最中に、RYUが片方の睾丸をつぶしてしまうというアクシデントがありました。そのため、不妊治療にいろいろと制約が出てきました。
他県の病院などでは、若い男性が受傷した場合、そのときの入院中に精子採取を行うところもあると聞きました。
どんなアクシデントがあるかわからないので、うちももっと早めに採取・凍結だけでもしておけば良かったと思っています。
お子さまがいらっしゃらない、男性の受傷者の方がこれをごらんになっているときは、一度主治医の先生とご相談されることをお勧めしたいなと思います。

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